こんにちは、さこっしーです。
『知る』と『理解する』と『できる』はそれぞれ違うというような話は、よく耳にします。
本を読んだり、セミナーを受講したり、人の話を聞いたり、そういう中で得た情報に対して『あ、それ知ってる』というように、自分の頭の中に出来上がったパターン認識に当てはめてしまうと、その瞬間あなたは新しい『学び』を得るチャンスを失ってしまいます。
上記の記事でも解説しましたが『学び』というものは、自分の内面から起こるものなので、どういう『学び』を得ているのかは『すべて自分が決めている』という認識が必要です。
だから、書評などで『この本から得られることはなかった』というように書くことは、実は結構恥ずかしいことだと思っています。
その時には、ピンと来なくても、どこかで何かしらの『学び』につながることもあります。
知ると理解という言葉の定義を区別する
さて、その『学び』についてですが、
- 自分の中に深く届く
- 自分のものになる
- 潜在意識レベルで理解する
- 自分の一部になる
というように表現できるのが、本当の意味での『理解』だと考えられます。
ただ、ちょっと勘違いしやすいところですが、インプットとアウトプット『深く』という言葉には『外から内に入ってくる』というイメージができています。
外から入ってきた情報が、自分の中の奥深くに届くというイメージです。
でも、実際は、潜在意識の奥深くでつながっている、
- 無限の知性
- ソースエナジー
- 神
- 集合的無意識
- 宇宙の真理
- 本当の自分
と、いろいろな言葉で表現できるもの、そこからのチャンネルがどれだけ開いているのかということが理解の度合いを決めています。
そういうことをふまえたうえで『理解』ということについて考えてみると『知っている』というのは、自我がパターン認識にだまされているという状態です。
『自分には必要がない』という認識がはたらいて、RAS(網様体賦活系)にフィルターがかかるので、その『情報』がもつ大切な部分、本質的な部分はスコトーマ(認識の盲点)に隠れて見えません。
大切なのは、理解=腑に落ちるということ
『理解する』というのは、左脳のレベルで自分の中にその情報を取り込むという状態です。
『頭ではわかる』とか『理屈はわかる』みたいな表現ができる状態です。
右脳のレベルで情報を取り込むと『納得する』という状態になります。
どちらかというと、上記の『理解する』よりもこちらの方が行動につながりやすく『本質的な理解』に近いです。
人間の行動動機は『理性』よりも『感情』に基づいているので『納得する』というのは、大事なポイントです。
そして、左脳・右脳の両方が情報をしっかり受け入れて、さらにそれが自分の実体験に結びつくと、本当の意味での『理解』=『腑に落ちる』ということになります。
『実体験』とはあなたが『現実』として認識したことの集合体です。
このレベルの『本質的な理解』に到れば、根本のプログラムが書き換わるので『習慣レベル』で行動が変わります。
つまり、必然的に『現実』も変わります。
『わかっているのか?わかっていないのか?』というのは、その人の『現実』だけを見て判断すればいいということです。
言葉や行動だけでは、判断できません。
人の行動の精度を見るときに一番確実なのは、現実をみること
行動の精度を見る人が見ればある程度は判断できますが、一番確実なのは『現実』です。
たとえば『遅刻してはいけない』ということがわかっているのかどうかは『遅刻しません』という言葉でも、目覚ましをセットしたり、前の晩早く寝るという行動でもなく『時間になればそこにいる』という『現実』を見て判断できるということです。
人に何かを伝えるときや部下を育てたり、子育てや教育において言葉や説明のしかた、つまり『どう伝えればわかってもらえるか?』ということではなく『どうすれば相手の現実が変わるのか?』という部分だけにフォーカスすればいいということです。
コメント