こんにちは、さこっしーです。
人間が人間である理由の一つは『自我』というものをもつことです。
これは、自分を客観的に見つめる意識、高度に進化した脳だけがもつ『認識能力』によって生まれてくるものです。
僕はこれを『分離意識』とも呼びます。
鏡や写真、映像などを使わないと、自分で自分の姿を観ることができないように『自我』という意識が自分を認識するためには、自分以外のものの情報を複雑に組み合わせて『推測』するしかありません。
つまり『思い込み』です。
信念や観念、常識、社会通念、価値観、などなど、これら、一人の人間の『個性』を創り上げているものは、すべて高度な脳が創りだす『思い込み』なのです。
『自我』は、もともとの生まれる経緯からもわかるように、自分と『自分以外』のものを『分離』することによって存在することができます。
赤ちゃんや動物を注意深く観察すればわかるのですが、彼らは『自我』というものを持っていないため、自分がどういう存在であるのかを知っておらず、また自分と世界は『つながった一つの存在』だと認識しています。
人間は、物心がついて『自我』というものが芽生え、それが成長することによって、他の動物には到達することのできないくらいに、高度な『理性』というものを発揮することができます。
その一方『自我』というものを持つことによる『副作用』というものも生まれます。
それが『分離不安』と、僕が呼ぶものです。
自分を認識するために、世界から自分を切り離す、そこには大きな『恐怖』をともないます。
もともとは『一つ』として認識していたのですが、物心がついて以来、人間としての人生が始まって以来、あなたは、あなたの世界から切り離されたほんの一部分、あなたの肉体と精神、個別の意識だけを、自分自身だと思い続けてきました。
あなたが今、人生を経験するあなたの意識、その『世界観』の根っこに『分離』があるため、あなたにとって当たり前すぎて疑う余地のないものです。
本当は、あなたが認識する『世界』そのものがあなたの存在の本質なのに、あなたは、そこから切り離された『小さな自我』だけを自分だと思い込んでいるのです。
そこに、大きな『恐れ』が生まれる構造があります。
とにかく、あなたはその『小さな自我』の存在が脅かされることに対して、大きな『恐れ』を感じてしまうのです。
これは、すべての生命体にあらかじめ組み込まれた『生存本能』というプログラムに根ざしているため、この世の誰も決して逃れることのできない『恐れ』です。
生命というものの存在理由が、その命を維持することなので、そのために『安心安全欲求』というものがあるのです。
前置きが長くなってしまいましたが、その『分離』というしくみから生まれる、人が陥りやすいワナの代表的なものが『偶像化』と『被害者意識』です。
偶像化と被害者意識は、身近に存在している
『偶像化』というと、ムズカしい言葉のように聞こえてしまうかもしれませんが、これは、ホントに身近にあふれています。
人は、他人を自分と分離された別のものと認識しています。
その『分離』の度合いが強いと『自分には届かないもの』と考えてしまうのです。
あなたは自分自身で、他人とあなたとの心の距離を遠ざけてしまい『共感』しにくくさせてしまうのです。
たとえば、スゴい人を見ても『あの人は特別だから』とか、『あの人にはできても自分にはムリだ』と思ってしまうのです。
この受け取り方の背景には『他人が特別』ではなく『自分が特別』だという意識のはたらきがあります。
こういう『特別感』を持つことによって、それを自分の存在の拠り所としてしまうのです。
これもすべて、そうしないと自分を維持できないという『恐れ』から生まれてくるものです。
分離して、世界の中で『特別』でいないと、自分が自分でなくなってしまう『存在の消失不安』というものがあるのです。
自分の殻に閉じこもる人は、それを自分自身でふくらませる『負のサイクル』に入ってる人だと言えます。
自分の価値観や信じているもの、それまでの人生で見聞きして、経験してきたことだけが自分のより所で、そこに固執してしまい、他人の考え方や価値観が受け容れられないのです。
人類の歴史の中で起こってきた数々の悲劇は、すべてがこの『分離不安』によって生み出されたものだということです。
ここまでの流れでもわかるように、分離不安からは『偶像化』とともに『被害者意識』というものも生まれます。
自分の人生に起こること、現実の中で経験することを、他人や環境など自分以外のもののせいだと考えてしまうのです。
これは、人や環境だけに限らず『概念』的なものにも適用されます。
『運命』や『神』といった、自分以外のナニモノかによって自分の人生が決められているという思い込みです。
実は、世の中の宗教というものの大部分は『偶像化』と『被害者意識』に蝕まれています。
宗教の本来の本質とは、離れて解釈されているのです。
ちょっと大きな話になってきているので、もう少し身近な具体的な話に持っていきます。
全ての人は、情報がないところからはじまっている
たとえば、ネットビジネス業界では『この業界は、すでに儲けている人たちが情報を自分たちだけで独占して、情報弱者たちをカモにしている』と言われることがよくあります。
これも、注意深く観察すれば、そうやって批判している人たちは決まって『偶像化』や『被害者意識』に囚われた『分離』の傾向の強い人たちだとわかります。
そもそも『すでに儲けている人たち』も、情報弱者からスタートしているのです。
成功のためにはコスト『お金・時間・労力』が必要です。
これは、この世界を支配する物理法則、エネルギーの保存法則を少し広げて解釈すれば、いたって当たり前のことです。
『成功』という言葉の解釈にもよりますが、より多くの人たちと関わって『社会』との接点『縁』というものが深くなることで、結果的に信頼や豊かさ、幸せというものを得られるという状態を『社会的な成功』だとすれば、成功している人は、社会に大きなエネルギーの循環を起こしている人だということができます。
精神的な成功も同じですね。
『価値観』というエネルギーを循環させ、世の中の多くの人の人生に影響を与えるのです。
それだけの存在になっていくためには、自分自身でエネルギーを投資してふくらませていく必要があるということです。
『すでに儲けている人たち』は、自分自身の経験から『お金』と『時間』と『労力』を投資して、とにかく質の高い『経験』を重ねることこそが成功の本質だと理解しています。
そして、これは、机上の座学では理解できないことも知ってます。
だから、後発の人たちに様々な情報、ノウハウやコンテンツを紹介して、そのきっかけを提供しているのだと言えます。
これを聞くと『すでに儲けている人たち』を美化しすぎじゃないかという意見もあるかもしれません。
でも、美化してもいいじゃないですか。
あなたが美化するのは、あなたが生きる『世界』です。
あなたは、どういう世界に生きたいのか?
その世界にいるのはどんな人たちか?
を自分自身で決めることができるんです。
インターネットは、持てるものと持たざるものそういう垣根をなくし、誰にも平等にチャンスと
可能性を与えてくれているのに、すでに結果を出している人たちを、ある種『偶像化』して自分と遠ざけてしまえば、『成功』自体からも自分を遠ざけてしまうのです。
これが『被害者意識』のワナですね。
人生で起こるのは、心の問題
結局は、人生で起こることのすべては『心の問題』だと言えます。
分離から解放され、自我の壁を取り払った後に観える『悟り』『覚醒』後の世界に立つことが、あなたとしての本当の人生のスタートです。
最後にまとめると『もっとオープンになろう』とか『閉じこもってないで外に出よう』とか『もっと人との交流を楽しもう』ということです。
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