こんにちは、さこっしーです。
この世に偶然はなく、すべては必然である。
この世界のすべての『存在』と『現象』は、『縁』という関係性つながりをもって、お互いがお互いの存在を支えあっています。
『支えあう』というのは、『影響を与え合う』『お互いに反応しあう』ということもできます。
水素と酸素が反応して水ができるように、『存在』と『存在』『現象』と『現象』が出会えば、必然的に何らかの『反応』が生まれます。
それは、この世界を変化させ続ける『自然の摂理』という絶対法則に則ったことです。
この世界に起こることは、そういった一つひとつの小さな『反応』が、複雑な『関係性』で結びついて進行していくことです。
細かい因果関係を読み解くことは不可能ですが、そこに『偶然』はなく、すべてが『必然』として起こります。
人間の意識だけが、ものごとの因果関係を直線的に結びつけて『意味』や『理由』という概念を創りだします。
『自我というプログラム』がそれを求めるからです。
人間の『思考』や『行動』もまた『自然の摂理』に則った『反応』です。
人間の心、意識の中にある『記憶』という情報が、世界の中の『存在』や『現象』に出会ったときに『必然の反応』を生み出します。
人間の顕在意識が、その『反応』に気づいていてもいなくても、世界の変化は進んでいきます。
一人の人間の人生に起こることは、すべてその人自身の『過去にしてきた無数の選択の結果』としてやってくる『経験』です。
人間の顕在意識は、それらのほとんどを自覚できておらず、そのために人間には、自分の人生がまるで自分の思い通りにならないもののように思えるのです。
つまり『偶然』も『運命』も『無自覚の選択』というものが生み出した『幻想』の概念なのです。
人間は、錯覚する生き物
人間は『錯覚の動物』です。
自由意志というものについても『錯覚』し、自らが無自覚にしている『選択』というものに気づかないために『偶然』や『運命』という『錯覚』も創り出しているのです。
人間は、毎瞬目の前に広がる無限の選択肢の中から、何かを選択して選択したもの以外を捨てています。
それは『無限の可能性』を毎瞬の選択によって『一つの現実』に変えているということになります。
そうやって、人生というものは形作られていくのです。
自分が何を選択しているのか、そもそも自分の前にはどんな選択肢が広がっているのか、学んで『知識』を持たなければ、それすらも認識や自覚をすることもできません。
そうやって『無自覚の選択』をする回数が増えるほど、あなたの人生は、あなたの意志とは離れていき、あなたは『偶然』や『運命』といった幻想上の概念の奴隷となってしまうのです。
人は、知らずしらずのうちに過去の繰り返しを選択している
『無自覚の選択』とは、別の言葉で表現すれば『過去のパターンの中に生きる』とも言えます。
あなたの『選択』つまり『反応』を生み出すのは、あなたの意識に貯えられた『過去の記憶』です。
人生が『カルマ』に支配されるとはよく言ったものです。
確かにそうなのですが『カルマ』は変えられるものなのです。
これは、前世や運命といった、あなたに手の届かないところで決められるものではなく、単なる『記憶』です。
『記憶』内の情報は、思考の枠組みを変えれば、たやすく書き換えられるものなのです。
あなたは、ものごとに対する『解釈』『意味づけ』を変え、自然の摂理に則って反応する『パターン』を変えること、つまり、あなた自身の『在り方』『機能』を変えられるのです。
ものごとを正しく理解すれば、その瞬間から、あなたの人生はあなたの手に届くところに返ってくるでしょう。
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