こんにちは、さこっしーです。
あなたは、自分が生きているこの世界を一体どのようにとらえていますか?
多くの人にとっては世界があって、その中に一人ひとりの人間や動物、その他の生命や非生命体が存在しているという認識ではないでしょうか?
端的に言うと『世界』があってその中に『自分』が存在するというイメージです。
僕自身も子どもの頃からずっとそう考えてきたのですが、2019年あたりにその認識が覆りました。
別に特別な何かを体験したわけではないのですが、いろいろな本を読んだり、人の意見を見聞きして、自分なりに考えた末にふと気づいたという感じです。
自分の認識できることだけが、世界のすべて?
それは、『世界』があって『自分』がいるのではなく、自分の『認識』があって初めて『世界』が定義されるということです。
言い方を変えると、自分の『認識』できることが『世界』のすべてになるということです。
多くの人にとって普通に考えられている『世界観』からすれば、奇妙に思えるかもしれません。
世界の人口の約70億分の1に過ぎない『自分』の中では、海岸の砂一粒よりもはるかに小さな存在に過ぎない『自分』の中の『認識』が『世界』の在り方を決めているということですから。
ですが、実際に一人の人間にとって『現実世界』というのは、その人自身の『認識』というレンズ(フィルター)を通して構築されるものです。
この世の誰一人として、現実世界を『あるがままに』『客観的に』認識できる人はいないのです。
詳しく言うと、人は感覚器官や自分自身の意識を通して、この現実世界にあるものを『認識』しています。
目に見えるもの、耳に聞こえるもの、手に触れるもの、自分の身にふりかかる出来事は、すべて自分の認識があるからこそ、自分が感じているように感じることができるのです。
そう気づくと、実は現実世界の在り方というのはそれほど重要なことではなく、それよりもむしろ自分自身の『認識』の方が、自分にとっての『世界』を決定付けるのにはるかに重要であることがわかります。
レンズとかフィルターという言葉を使いましたが、これは言い方を変えると、その人自身の考え方の習慣(信念)とか固定観念、先入観などにあたるものです。
僕はよく『自分の軸』『信念のレンズ』という言葉で表現したりします。
自分の認識の仕方を変えれば、世界が変わる
例えば、身長170cmくらいの人がいたとします。
その人を見て背が高いと思うのか、低いと思うのかは観察している人のレンズによります。
何かに失敗して『自分はダメな人間だ』と思うのか『いい勉強になった、次はがんばろう』と思うのかも、その人のレンズ次第です。
『失敗すると次もダメだろう』という考え方が習慣になっている人は『失敗は成功の素』という信念を持っている人とは、同じことを経験したとしても、受け取り方がまったく違ってきます。
人を見て、ダメなところばかり探してしまう人と、誰に対してもいいところを見ようと接する人では、世の中の見え方が大きく違うはずです。
そして、これが重要なところなのですが、その人が持つフィルターに応じて時間とともにその人の周りの『実際の現実世界』も大きく変わっていくのです。
ここで肝心なのは、人は誰でも自分のレンズの性質を自分で選択する自由を持っているということです。
この『選択の自由』は、進化の果てに『自我(顕在意識)』を得ることのできた人類だけに与えられた素晴らしい権利といえます。
また、この『選択の自由』は『責任』という言葉でも表現することができます。
人間だけが、自分の生命や人生に対して責任を持って生きることを許された存在と考えることもできます。
『7つの習慣』でいうところの『自己責任の原則』というものですね。
『自分を変えれば世界が変わる』というのは、もしかしたら、ありきたりで新鮮味のない言葉かもしれません。
ですが、真剣にその意味するところを吟味し、自分自身の経験に照らし合わせて深く理解してみようと考えてみたことはありますか?
知らず知らずのうちに、自分の『世界』を曇らせるようなレンズを使っていませんか?
物事を観る基準は、自分の中にある情報で決まる
『信念のレンズ』は自分で自由に選ぶことができるのですが、他人の価値観によって曇らされることもよくあります。
いわゆる社会通念・常識というものです。
- 世の中そんなに甘くない
- 人生はつらく苦しいもの
- 自分は、大したことのない人間
- 人を信用するとだまされる
- 夢を見なくなるのが、大人になるということ
- 正直者はバカを見る
- 金持ちは搾取している
- 悪いことでもしないと、お金なんて稼げない
- 男と女なんてしょせん理解しあえない生き物
- 世界は悪い方向に向かっている
- 不況なので就職に不利
これらは、そう信じる人にとっては真実になります。
ですが、そういう世界に生きることを選択しているのは、自分自身だと気づくこともできます。
人間は誰でも、自分の見たいように世界を見て、自分の生きたいように自分の人生を生きることができるのです。
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