お役目や使命は自身とつながったとき、在るだけで全うされる

お役目や使命は自身とつながったとき、在るだけで全うされる生き方・考え方

こんにちは、さこっしーです。

これは、僕の個人的な見解ですが、『あの人の生き方は間違っている』『ああいう考えは間違いだ』というように、他人を否定したり、他人を変えようと何かをするのは、『悟り』というものの本質ではない、と思っています。

僕自身は、このブログを通して自分の考え・意見を正直に発信したいだけなので、こういう発言をすることは、別に矛盾しているわけでもありません。

僕は世界を変えたいわけではなく、自分自身を変えたいだけです。

これを読んだ方が、考えを変えるのかどうかはその人の自由だと思っています。

このブログに限らず、僕の認識を通して接する人たちは、すべて僕自身の意識の投影なので、僕の発言はすべて、僕自身に向けたものです。

これを目にするあなたにとっても、あなたの意識からのメッセージが、僕のブログを通してあなた自身に届いている、ということです。

そういう前提でお話を続けます。

世の中には、いろんな人のいろんな形の『悟り』があります。

歴史上に生きた人たちの人生は、誰一人として同じものはないのです。

どういう生き方をするのか、したいのかは、その人の『役割』次第です。

求道者であってもOK、実業家でも、政治家でも構わないのです。

『悟り』を特別視してしまうのは、自我の創りだす一つのワナです。

世界中の人たち、それどころか、人類の歴史の中で、これまでに登場したすべての人たちは、ある意味ではみな、悟っているのです。

『役割』とは、ただ『在る』だけで全うされるのです。

それがこの世界の必然です。

太陽も地球も、月も、ブラックホールですらも、この宇宙の中で、固有の役割を果たしています。

地球は、ただ地球で『在る』から、地球という役割を果たしているから、豊かな生命を育んでいます。

地球が太陽になろうとしても、それはできないし、なる必要もありません。

月は、ただ月で『在る』だけで、その重力で地球上に潮汐を引き起こし、遠く離れた地球の生態系に貢献しています。

どういう生き方をすべきか?は問題ではなく、自分に正直に生きるか否か?こそが大事なのです。

『快』の感情とは、ソース(根源)、つまり『世界』とのつながりであり、一体・調和(愛)です。

『不快』とは、世界との分離、ソースから切り離された分離不安です。

しかし、これは自我の生む幻想に過ぎません。

すべての存在は、どうやってもソースから切り離されることなどありえないのです。

ソースとのつながり、つまり『調和』とは、役割を果たすこと、ともいえます。

自然に『在る』だけで、その役割は果たされます。

人間の自我意識という、この世界の中で唯一、異質といえる存在だけが、『快』『不快』というシグナルを受け取ります。

『快』であろうと、『不快』であろうと、存在しているだけで、あなたの役割は果たされています。

あなたがどのように感じ、どのようにアウトプットしようと、世界との調和から外れてしまうことなどありえないのです。

あなたはただ、『快』に従うのか、『不快』に従うのか、を自由に選択できるというだけなのです。

そのシグナルを受け、あなたがポジティブな感情を生み出すのか、ネガティブな感情を生み出すのか、どちらも、あなた自身のアウトプットの結果に過ぎません。

たとえば、イヤなことを受けたときに、反射的に『ありがとう』と言うクセをつけてみたとします。

それだけのことで、あなたの生きる世界・現実に計り知れない変化を生み出すことになります。

ちょっとした口ぐせ、習慣で、フォーカスを即座に転換させれば、あなたの生きる世界は大きく変わるのです。

ややこしくなって混乱してきたら、シンプルに考えましょう。

あなたは、どう生きても、世界との調和から一瞬たりとも外れてしまうことはありません。

なので、いつでも自分に正直に生きること、自分が感じたい感情だけを受けとること、ただ、それだけに集中してみましょう。

きっと、現実が大きく変わっていくはずです。

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