背中で体現する人になることで、徳を積むための準備ができる

自分の宝を天にたくわえる生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

新約聖書のマタイによる福音書『山上の垂訓』に、自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。

自分の宝は、天にたくわえなさい。

という箇所があります。

これは、僕の中では今まで『地上』とは物質的、外面的なもの『天』とは精神的、内面的なもの、つまり、物質的な富を求めるよりも、精神的な豊かさを培っていきなさいといったニュアンスで捉えていました。

ですが、もう少し深く考えてみると『地上』には建造物や地形や国境線といった境界線(壁・枠)があるけど『天』には一切の境界線がないということにも気づきました。


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体現する人になることで、徳を積むための準備ができる


2014年頃から2020年頃までの数年間、僕は、自分の内面を高めるということを意識して、いろいろな書籍や文章からのインプット、そして思索と日々の行動への反映を通して検証、といったことを繰り返してきました。

これを『天に宝をたくわえる』行為だと考えてきたわけですが、今思い返すと内にこもりすぎて、自我(エゴ)の枠組みの中だけの行為だったように思います。

抽象度を上げて自分(自己)というものを広く定義すれば、積極的に新しい出会いや環境を求めて行動することが、自分の認識する世界(=自己)に変化を生み出し、その変化によって得られるもの(新しい人との縁や自分の内外に起こる変化)それが『天にたくわえられる宝』といえるものなんだと気づきました。

もう一つ、この数年間は自分なりに勉強してきて、これは知ってるとおトクと思えるような知識も得てきたので、周りの人たちにも『世間の常識はこうだけど、実はこういう世界もあるよ』ということをいろいろと伝えてきました。

ですが、自分が理解しているレベルで伝わることはあまりなく、みんな結局過去の習慣に流されて、自分の狭い世界で生きているように見え、そのことに対してある種のもどかしさを感じていました。

でも、今思い返すと、これは完全に『鏡の法則』に当てはまっています。

新しい出会いや環境を求めず、自分の世界を広げようともせず、内にこもっていたのは自分自身だったというわけです。

自分が潜在意識の現状維持メカニズムにがっつりはまりながら、周りに対して自分の殻を破るように求めていたというわけです。

振り返ると完全に笑い話のレベルですね。

我ながら気づくとおもしろいです。


自分の世界を広げるために、行動しよう


僕は、自分自身が『体現』できていない状態で、ただ言葉を語るだけの人だったせいで、徳を積んでいるつもりで、まったく徳を積むことができていなかったということです。

その後『天に宝をたくわえる』という意識で、自分の世界を広げるための行動(未来側にいる人と会ったり、実体験ベースでゴール側の臨場感を自分の中にインプットする)を始めたら、セルフイメージが刷新され言霊の力が宿り『他人に対して背中で語ってみせる人』へと変化し、その結果、他人に対する影響力が高まり、実際に『徳を積む』ということができる人間になれました。

『徳を積む』ということ自体を『天に宝をたくわえる』と表現することもできますが、情報発信においては『背中で体現する人』にならないと、本人は徳を積んでいるつもりでも実際は積めていないということにもなりがちなので、注意が必要ですね。

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