こんにちは、さこっしーです。
以前、自分自身の『世界観』としてこういう記事を書きました。
この『自分の認識が世界のあり方を決める』という世界観と『潜在意識下で人はつながっている』という言葉。
仏教哲学の『唯識』という概念でも語られていることですが、これらのことが頭の中でつながって『自分が認識する世界そのものが自分ではないのか?』ということに気づきました。
自分が認識する世界のすべてが自分
言葉にするのはまだ多少難しいのですが、これまで僕は、自分の身の回りにいる人たちを『自分の人生の中の登場人物』として捉えていました。
つまり、自分(自我)と周りの人たちを切り離して考えていたのです。
でも『自分の認識=世界』なら『自分の認識= 自分』とも言えるので、『世界=自分』になるのでは?ということです。
心理学的にいう『鏡の法則』では、自分の周りの人たちは、すべて自分の潜在意識の投影だとみなします。
自分の周りにいる人たちは、自分が自分であるからこそ自分と縁をもち、その結果、今自分の周りにいるのです。
新しく出会う人についても同じです。
自分の心のあり方、その発現として自分の世界の中に新たな人が現れ、自分と縁をもってつながっていくのです。
過去の習慣に流されて生きている人には、運命の出会いは訪れず、自分の周りの人間関係や環境、自分の生きる世界が大きく変わることはありません。
自分の潜在意識に変革が訪れた時、これまで出会わなかったようなタイプの人が自分と縁を持つようになってくるということです。
『自分の周りにどんな人が現われているか?』ということは『自分自身がどういう人間であるか?』ということを表しているのです。
自分の認識する『世界』を構成するのは、人だけではありません。
これも自分の中で腑に落ちたことですが、物体『もの』も記憶をもつということは、素粒子論を使えば、理屈の上でも理解ができます。
自分の身の回りにいる人だけでなく、あらゆるものごとは、自分自身を構成する物質を、素粒子レベルで見たときに観測できる『波動の状態』と同じものが集まるということです。
自分の周りにどんな人が集まり、どんなものがあり、どんな状況や環境が実現しているのか、自分の周りにどんな世界が認識・構築されているのか。
そういったものをすべて含めて『自分』というものが成り立っているのだということです。
潜在意識が変わると状況が引き寄せられるというのは、あくまで人間の頭で理解するための方便みたいなもので『潜在意識=認識=状況=自己』なので、何が原因で何が結果というものでもないということですね。
この世界の全てが、自分だとしたら?
言葉にすると『必然』としか言えない気がしますが、これまで考えてきた『必然』とはニュアンスも変わってます。
自分自身の中でも明確な確信もなく、言葉的にもまだきちんとうまく説明できていないように思います。
ですが、このことに気づいてから、自分の身の回りに認識されるものすべてに、今までにない愛着めいたものを感じるようになりました。
自分の身に着けているもの、住んでいる部屋にあるもの、目に見えるもの手に触れるもの、すべてが自分の一部だという感覚です。
かなりぶっ飛んだ内容のお話になっている気もしますが、一応正気のつもりです。
ただ、自分の中では色々なことに対する答えが、この考え方で得られるような気がしています。
もうちょっと自分の中で寝かせて、哲学してみることにします。
コメント