さこっしー
こんにちは、さこっしーです。
人は、自分の頭の中にある『理屈』『知識』で説明のつかないことに出会ったとき、それを『奇跡』と呼びます。
しかし、世の中に本当の意味で『理』の通らないことは存在しません。
人間が、その『理』について、説明する知識・理解を持たないだけのことです。
奇跡には再現性があって、自分で起こすことができる
たとえば、多くの人は人間の『意識』のもつ力というものを、過小評価しています。
だから、誰かが意識の力、強靭な意志の力で何かを成し遂げたとき、人々が予想できないような結果が生まれたとき、人はそれを『奇跡』と呼びます。
人は、『生命』というものがもつ力を、過小評価したり誤解したりしています。
だから、生命というものがもつ本来の力を目の当たりにしたとき、人はそれを『奇跡』と呼びます。
可能性を自ら閉ざさなければ『奇跡』に見える結果は、いくらでも創りだすことができます。
ありきたりの精神論や、後付け論の話ではありません。
『奇跡』は、確かに創れるものです。
たとえ、何人の人たちに、どれほどの権威をもった人に、可能性を否定されようと、理性の光で、自らの可能性を照らし続ける者にとって、『奇跡』は身近なものであり続けるでしょう。
知れば『奇跡』を起こせるというのなら、学ぶことによって『奇跡』を創造できるのなら、僕は、『知』に対し、どこまでも貪欲であり続けたいと思います。
欲望や執着を生きる力に変えて、自分の人生を輝かせよう
僕がこの人生で歩みたいのは『空観』でも『仮観』でもなく『中観』の道だということです。
人生は機能、役割、使命を見出してこそ、自分自身でその意味と価値とを実感できます。
欲望や執着を生きる力に変えて、自分の人生を輝かせることもできます。
『知』によって可能性を照らすこと、それが『奇跡』とともに生きるということです。
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