こんにちは、さこっしーです。
『思考』は自我だけの持ち物で、それを『行動』に変えると、あなたの創造物を現実世界とシェアできます。
『思考』を『行動』というアウトプットで、成仏させてしまわないと『記憶』という亡霊になって『観念』を創りだします。
『観念』は、あなたの思考を縛ります。
『思考』は『いまここ』にあるものですが『記憶』は『過去のもの』です。
したがって、
- 考え事をしながら行動すること
- 心配事を抱えながら日常を送ること
- 心に自分の本心を隠しながら生きること
- 心に迷いを持って生きること
- 自分の心にウソをついて生きること
- 本当にやりたいことをやらずに生きること
これらはすべて『いまここ』に生きず『過去の観念の世界に生きている』ことになります。
『行動』というものは『思考』や『衝動』による『いまここ』を生きるアウトプットと『記憶』『観念』に縛られた『惰性や過去の習慣による行動』の2種類に分けられます。
あなたの一週間、一日の生活の中で、どちらの行動が多いでしょうか?
多くの人は、過去の習慣による行動で生きている
現代の多くの人は『執着となった過去の記憶に支配される行動』中心の生活を送っていると思います。
たとえば朝、通勤や通学するときに駅まで歩いたり、電車に乗ったりという行動の中で、心が『いまここ』にある人は、ほとんどいないでしょう。
会社で担当する仕事も、ほとんどが決まってることだからとか、いつもやってることだからという理由で取り組むルーチンワークや、記憶内のいくつかのパターンを組み合わせて処理するようなもので『その行為自体を楽しむ』という観点で取り組んでいることは、あまりないのではないでしょうか?
ですが、引き寄せの法則や成功法則にのっとった『自分の人生を創るための行動』というのは、『いまここ』の思考や衝動をすぐにカタチにしてしまうようなアウトプットのことを言います。
『執着となった過去の記憶に支配される行動』つまり、過去の習慣に流される行動というのは、失敗することがあまりない代わりに、大きな『学び』もありません。
少なくとも、自分の人生を変えるようなインパクトのある『学び』を得ることはできません。
成功法則でよく言われる『行動よりも思考が大事』と、引き合いに出されるのは、こういう行動のことを指しています。
過去の習慣に流された行動をとっている限り、人生は、過去の延長であり続けます。
『いまここ』の思考や『内なる衝動』を行動に変えるときには、壁を乗り越える必要があります。
『過去の記憶』になかった行動をとるということは、それだけで不安や恐怖をともなうことです。
これは、あなたが臆病だからではありません。
自我というものの、当たり前の習性です。
自我は変化を恐れます。観念の中で生きる方が心地よいと思うんです。
これを『潜在意識の現状維持メカニズム』『コンフォートゾーン』の中で生きると言います。
自分を変化させるために必要なこと
これを乗り越えるにはどうすればいいか?
まずは、あなた自身の在りたい姿をしっかり知ることです。
今、あなたが感じる不安や恐怖、無自覚なものも含めて受け取る『不快』。
そういったものは、あなたがどういう存在であれば問題にならなくなるのか?
無自覚なものは、きちんと『あなた自身の現実に向き合わないと見えてこない』と思います。
たとえば、結婚したばかりで幸せ一杯に見えるような人でも、心の奥を覗けば今の幸せというカタチが壊れてしまうことへの『恐怖』があったりします。
カタチによってもたらされる幸せは、本当の幸せではありません。
『悟り』によって得られる幸福感や安心感というのは、たとえ愛する人を失っても、あなた自身が死んでしまっても、現実がどんな困窮した状態になっても、自己という存在は決して失われることも、損なわれることもないという感覚です。
あなた自身がただ在るだけで、満たされているという状態です。
いまは、こんな仮定が極端に思われるかもしれませんが、あなたの世界を広げるためには、考えうる究極的な状態を、最初に知っておくことも大事なので、あえて書きました。
こういう想像力を発揮することで、過去の習慣に流される行動の延長には上記のような状況、
- 愛する人を失うこと
- あなた自身が死んでしまうこと
- 考えうる最悪の現実環境
そういう状況に置かれたときに受け取るような『究極的な不快』の可能性があることを自覚するのです。
その『不快』と比べたら、今のあなたが変化する際に受け取る『不快』なんて、取るに足らないものではないでしょうか?
これは、ネガティブにフォーカスした場合の動機付けです。
ポジティブな行動の動機を考えてみよう
今度はポジティブの動機を考えてみましょう。
これは『内なる衝動』を動機とする行動のことを指します。
『内なる衝動』をカタチに変える行動は、行動の結果ではなく、行為そのものが目的となります。
そもそも『結果』を目的とするから『失敗』というものが生まれるのです。
手に入れたい『結果』が手に入らないことが『失敗』という概念です。
『失敗』という概念から不安や恐怖といったものが生み出されます。
『行為自体が目的』の場合は、失敗は起こりません。
アウトプットした時点で、それはもう『成功』なのです。
アウトプットするカタチに、こだわる必要もありません。
外から見て『失敗』に見える経験も、貴重な学びとなるので『宝』となります。
他の人が経験しないような大きな失敗、困難極まりない酷い状況というのは、まさに滅多に手に入らないレアアイテムです。
アウトプットの行為自体が目的となれば、思考をアウトプットすることが『いまここ』を生きることになります。
アウトプットの結果であるカタチ、これは『記憶』と同様に過去のものです。
『いまここ』を生きるのに、過去のものはすべて無用です。
『記憶』も『行動の結果』も、そんなものは一切必要ないのです。
インプットとアウトプットは、たとえるなら『呼吸』のようなものです。
あなたは、意識して呼吸を行っていますか?
意識して呼吸を行うことは、つまり『呼吸を瞑想状態で行う』ということです。
呼吸するという行為自体が、目的になります。
『いまここ』で認識していることに意識を向けるのが、瞑想です。
息を吸うこと、そして吐き出すことを自覚することで、未来の妄想や過去の思念から解放されて『いまここ』に還ってくることができます。
インプットとアウトプットを瞑想状態で行うということは、
ということです。
思考が自覚から離れて、無意識に頭の中で繰り返されると『執着』が起こり、記憶となって観念を育ててしまいます。
思考を自覚しているうちに、無意識の中に埋没させないうちにアウトプットして、何らかのカタチに変えてしまうことが、思考が『記憶』という亡霊に変わる前に成仏させるということなのです。
インプットとアウトプットを自覚する。
一日の中で、そのことに意識を向けるだけでも、あなたの現実は確実に変わり始めます。
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