【カルマ】過去の習慣が今を創り、今の習慣が未来を創る

【カルマ】過去の習慣が今を創り、今の習慣が未来を創る生き方・考え方

こんにちは、さこっしーです。

『カルマ』という言葉。

これは、過去の記憶であり、具体的な言葉で言えば『現実的な習慣』です。

カルマは今この瞬間にも、あなたの行いによって創られているのです。

人生で経験することは、カルマによって決まっていくものですが、それを『前世』『運命』といった『自分の外側』にあるもののせいにしてしまうと、あなたの創造性のエネルギーを奪うことになります。

自分自身の人生経験、向かっている現実のことに関しては『前世』『運命』『宿命』という言葉を持ち出したとしても、それが『受け容れ』という意識レベルに近づくために役立つのであれば、それはそれで構いません。

『受け容れ』が起これば、あなたが創造性を発揮するために絶対に必要な条件『自分の人生に100%責任を持つ』ということが達成されるからです。

ですが、たとえ肉親やわが子であっても、自分以外の他人が直面している現実を、その人の前世や運命のせいにするのは『危険思想』だと思います。

だから、前世が観えるという能力を持つ人であっても他人に伝えるときは、あくまでも解釈の一つとして『こう考えることもできるよ』という伝え方をする必要があるのです。

それを『絶対的』なものとして伝えれば、相手の『人生の外側』に崇拝すべきものを創ることになって、相手から創造性を奪う行為になってしまいます。

生まれてきた子どもの健康状態が悪かったり、アトピー性皮膚炎などを患ってしまったりすることを、その子の前世から決まっていた宿命だととらえる考え方も、僕としては、どうかと思うところもあります。

もちろん、そういう境遇を経験する親自身が、精神的に苦しむことになるので『救い』として、前世や宿命という考え方を持ち出すこともできます。

心のケアのためには、必要となる場合も当然あります。

ただ、それ以前に、子どもが生まれてくる前の『自分自身の過去の習慣』『食習慣』『生活習慣』『思考や行動の習慣』が、本当に望ましいものだったのか?傲慢や怠慢から、自分自身が無知であり続けることを放置していなかったのか?ということを省みる必要があります。

子どもは、文字通り親の身体と魂を受け継いで生まれてきます。

親となる人が、自分自身の無知によって自分の身体や心を大切にしていなければ、その『カルマ』を背負って生まれてくるのは当然と言えば当然の話なのです。

その事実を受け容れるのは、確かに辛いことかも知れません。

ですが、それを自分自身の責任と考えず、前世や宿命といった『人生の外』にあるもののせいにしてしまえば、カルマの連鎖を断ち切る、根本からの問題解決には近づけないのです。

まずは、自分の過去の習慣に原因があることを認める。

自分が悪いと自分を責めるのではなく、過去の自分の『行い』の何が悪かったのか?を知るのです。

そうすることによって、何を変えるべきなのかがわかるのです。

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習慣は、日常の生活習慣も同じこと


『生活習慣病』と言われているガンへの対処にも似ています。

ガンを患った人が、病院で化学療法や手術によって目に見える部分の患部を排除したとしても、過去と同じ習慣を続けていれば、必ず転移や再発が起こります。

化学療法や手術では、ガンを生み出した体質や習慣的にかかる精神と肉体的なストレスを取り除くことはできないからです。

過去の習慣によって創られる心と身体、その中にこそガンの原因があるのです。

ガンという現実に直面するのは『過去から続けていた習慣を変えるべき』という『自分自身からのメッセージ』なのです。

『習慣』という言葉も、抽象度が高くて、素通りしてしまいがちな言葉ですが、具体的に言えば、一つ一つの『行い』そして『思考』です。

あなたが普段、どういうことに目を向けて、何を考えてどんな行動をとるのか?

それがすべて『カルマ』となるのです。

だからこそ、すべての思考や行動、自分が意識を向けているものに対して『自覚的』である必要があるのです。

『自覚』という能力の発揮のためには『直観力』を養う必要もあります。

『直観』をしっかり発揮するためには、幅広い知識とものごとの本質を見抜く感性、この両立が不可欠です。

直観力を鍛えるためには、常に自覚すること


すべて、あなたのフォーカス、思考、行動によって創られていくものなのです。

逆説的ではありますが、あなたは人生で『自覚的』であるために、今この瞬間から自覚し続ける必要があるのです。

『自覚』からすべてが始まります。

一旦、目が開かれると、その流れが加速するというのが自然の摂理です。

目覚めた後に、歩みを止めてしまうのも、意識の進化のプロセスの中での一つのワナです。

『覚醒』によって過去の受け容れが起こると『何も変えなくてもそのままでいい』というように誤解してしまうことがあります。

自然の摂理は『拡大』『成長』『流れ』との調和です。

あなたが変えようと思わなくても、すべては自然と変わっていくのです。

ただ、自我の習性の中に『変化への恐れ』というものがあるために『受け容れ』の感覚を都合よく解釈して『自分は変わらなくてもいい』という思考を生んでしまうのです。

歩みを止めること、成長しなくてもいいと考える思考の背後には、変化への恐れ、習慣を変えることへの『メンタルブロック』が潜んでいます。

『成長』とは、新たな知識をつけること、新しく世界を広げることです。

これは、人との縁を通して流れ込むものです。

富裕層と言われる人たちと、一般の人たちとでは、日々接する情報の質がまったく違います。

情報の質が上がれば、より『自覚的』でいられるのは否定できない事実です。

豊かな人たちとそうでない人たち、日々の習慣が違うのは、知識の違いからくる『価値観』の違いです。

自分の健康を損なう習慣や、心に悪影響を与えるような習慣、人であれば誰でももつ傲慢さや怠慢を助長するような悪習慣、それが自分の人生の質を著しく損なうこと、それを理解していれば自殺行為ともとれる、そのような習慣を続けはしないでしょう。

ユダヤ人は、喫煙習慣のことを『ゆっくり進行する自殺』と表現します。

これも、しっかりとした知識に裏付けされた『価値観』があるために、自分の行いに対して自覚的であるという一つの例です。

習慣を変えることには、どうしても『恐れ』が伴います。

ただ、正しく知って変えるべきことを変えるだけで、カルマを変えることができ、それによって人生が変わるのであれば、実践する価値のあることではないでしょうか。

まずは、小さな一歩からです。

あなたは今日から何を新しく始めますか?

どんな過去の悪習を断ち切りますか?

その決断が重なった先に、あなたの望む未来があるのです。

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