こんにちは、さこっしーです。
『はじめに言葉ありき』とは、聖書のことばです。
創造のプロセスの基点となる『質問』を創るのも言葉です。
『言葉』とは、人が生み出したものの中でもっとも便利なツールの一つではないでしょうか。
人の頭の中に存在する記憶やイメージ、それを他人と直接やりとりすることはできません。
ですが『言葉という記号』を使えば、他人と共有することができます。
コミュニケーションにおける、一つの革命です。
ただ『言葉』は万能ではありません。
『言葉』を介してやりとりするとき、お互いに見えるのは『言葉』のみであって『言葉』を使った者、受けた者が、その言葉にどういうイメージを象徴させたのか『言葉』の奥に潜む目には見えないイメージを洞察することは、容易ではありません。
ですが、多くの人は『言葉というツール』の便利さに目を奪われ、そのことを忘れがちです。
人は『言葉』そのものを理解しているだけで、実際『言葉』が示している『イメージ』のことはきちんと理解できていないということは、頭の中に留めておく必要があります。
理解するって、どういうこと?
たとえば『理解する』という言葉の意味がわからない、という人はあまりいないでしょう。
ですが『理解する』とはどういう現象なのか?
そのこと自体に対する理解は、人によって大きく違うということです。
『言葉』を使う上で大切なことは『受け手にわかる言葉を使う』ということです。
『受け手』とは、自分と相手の両方を指します。
自分が理解できない言葉を使わないというのは、当然のことです。
自分が理解できないものを、相手に理解させることなどできるはずもありません。
相手が理解できていないのなら『伝わっていない』ということです。
理解できない限り、現実は何も変わらないので、これでは何のために言葉を使っているのかわかりません。
相手にわかる言葉とは?
次に『相手にわかる言葉』ということですが、ここを意識できている人は意外に少ないように思います。
情報化社会ということもあって、情報発信などのアウトプットする人は多いですが、ありがちなのが『自分が使いたい言葉』を使っているということです。
自分だけが理解できる言葉を使っていても、相手には理解されません。
同じ『言葉』でも、それを観たときにどういう『記憶やイメージ』とつながるのかは、人によって違います。
だからこそ、『相手を理解する』『理解してから理解される』ということが大切なのです。
『人を理解する』というのは『その人が使う言葉を理解すること』でもあります。
この場合の『言葉』は広義のものとして、解釈を広げておく必要があるでしょう。
つまり『行動』もその人の意志が込められた一つの言葉であり、その結果である『現実』も観察する対象となります。
言葉の奥にあるものを観る
また『言葉』とは目に見えるものだけをいうのではありません。
『言葉の選び方や使い方』を注意深く観察すれば、その人の深いところまで知ることができます。
こうしたことを行っていく際に『情報』は多い方がいいのですが、指向性のない情報は混乱の種となります。
指向性とは、すなわち『本質』です。
『本質を知る』ということは、秩序のないカオス(混沌)の中から、見えていないルールを見つけるということです。
『本質を知る』ためには、自分の『潜在意識の図書館』に貯えられた情報に、新たな視点を持ち込むということを繰り返すしかありません。
これが『自分の頭で考える』ということです。
新しい知識をインプットし、それを新たな視点や切り口の引き出しとして使い、それを繰り返すことによって、自分の潜在意識の図書館を『価値ある学びの宝庫』に変えていくのです。
心を新鮮に保ち、自分が創った過去の解釈を何度も壊し続けるうちに、雑多なカオスの中から、今まで見えなかったルールが見えてくるのです。
自己変革を飽きることなく繰り返せる者だけが『本質』というものにたどり着けるのです。
自ら変革を起こす者もいれば、状況によって変革するしかなかった人もいるでしょう。
そこまでたどり着けたとき『言葉』は単なるツールではなく『魔法のツール』となります。
言葉という魔法、その恩恵を受けるためには『本質を知ること』すなわち、自ら変化し続ける『破壊者』であることが必要だということです。
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