こんにちは、さこっしーです。
目の前に新しい世界が広がり始めたこともあって、自分の中で気持ちが盛り上がって高揚感に包まれていました。
そんなところへ、あるときある方に熱のこもったメッセージを送ったところ『ガンガンはやめて、のんびりいこう』的なメッセージを頂きました。
冷静に考えてみれば、はやる心・ワクワク感ってポジティブにも見えて『痛みをごまかすために打つモルヒネ』と同じようなケースもあるんですよね。
新しい世界に対する不安や恐れを、自分の中で解消するのではなくて、ごまかしているだけという状態です。
自然な状態ではないということです。
人生は、自分自身とのコミュニケーションが大事
不安や恐れというネガティブがなくなれば、過剰なポジティブでごまかす必要はありません。
理想なのは『のんびり・自然体』例えるなら、スーパーサイヤ人になったときの落ち着かない
気分をなくして、スーパーサイヤ人のまま日常生活を送れるようにするというような状態です。
ドラゴンボールは、深いですね。笑
『他人は自分の鏡』最近よく自分の中でリフレインする言葉ですが、一段深いところに納まった気がします。
他人の言動に関わらず、自分の身に起こることはすべて、全体性(ワンネス)としての自己(セルフ)から自我(エゴ)へのメッセージということです。
宗教的にいうと『神からのメッセージ』とも言えますね。
他人や出来事、経験という形でやってくるメッセージです。
単なる情報ではないところがポイントです。
すべて意味を持っているのです。
起こすんじゃなくて起こる。
引き寄せるのではなく現れる。
神からの啓示は、何も特別なことではなく、自分(自我)が経験することすべてが、自我に宛てられたメッセージなのです。
だからこそ、自分を取り囲む状況・環境・もの・人は、すべて等しく尊いのです。
自我(エゴ)が大切だと思っているものだけが、大切なのではないのです。
自分が発している言葉は、プラスかマイナスか?
たとえば、家族のことを大切に思っている人がいます。
その人が、自分の家族に向かって『キミたちが一番大切だよ』と言葉をかけること、そして、
その言葉に現実(行動)を一致させること。
これは、自分(自我)から世界(自己)に対する愛のメッセージです。
目の前の人に送った愛のメッセージは、自分(自我)にも愛として返ってくるので、非常に素晴らしい行動だと言えます。
同じ人が、家族以外の人を目の前にして『自分にとって一番大切なのは家族だ』とわざわざ宣言すること。
使っている言葉は同じように見えますが、これは、目の前にいる人に対して『キミは自分にとって大切な人じゃないよ』というメッセージを送っていることになります。
これは、自分(自我)から世界(自己)に対するNoのメッセージになります。
なので、それと同じものを自我が受け取ることになるのです。
『経験』が世界(自己)からのメッセージなら、自分の行動は自分(自我)から世界(自己)
へのメッセージということです。
普段から使っている言葉を、意識してみよう
同じ『家族が好き』という言葉でも、状況や言う相手によって、自分に対するYes、自分に対するNoとメッセージの意味が変わってしまうということです。
ポジティブなことを言ってるつもりで、その影にネガティブを生み出してしまうというのも、一つの陥りやすい罠ですね。
思考の抽象度を上げて、すべてが尊いと思えるようになると、そこから抜け出すことができるものだと思います。
自分は、自己と自我の間で愛のメッセージをやりとりできているのか?
ということを、改めて意識しておきたいですね。
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