失敗こそが自分自身を成長させる、逃げるより挑戦しよう

失敗こそが自分自身を成長させる、逃げるより挑戦しよう生き方・考え方

『悟る』という言葉には、誤解を生むニュアンスがあります。

この言葉には『知る』『わかる』『理解する』といった意味合いが込められていますが、人生において『すべてを悟る』なんて状況はあり得ません。

だから、人生の中で究極の『悟り』とも言える『解脱』を求めるのは、ある意味ナンセンスなことです。

すべての執着から解放され、涅槃の世界や全体意識の中に溶けていくこと、これは言い換えると人間という一つの個体としての『死』を意味します。

生命であれば、どんなものにも等しく訪れるもの、求める必要のないものを求めてもしょうがないということです。

人生の中で、すべてを『悟る』ことなんて不可能です。

全体に対する部分である『自我意識』がすべてを理解できるはずがありません。

ソースとつながればそれが可能だと思う人もいるかもしれませんが、人間としての営みリアルな日常生活を送る上で、そういう考えは『現実的』とは言えません。

そもそも、人としての幸せを手にするのに『すべての理解』が必要なんでしょうか?

そんなことはないと思います。

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人は、経験したことしか理解できない


『悟り』という言葉のニュアンスにとらわれて、経験していないことを経験したかのように語り、わかったつもりになってしまうのも危険なことです。

恋愛というものを経験しつくしたわけでもないのに『しょせん恋愛なんてものは』と語ったり、本当にお金から解放されるというレベルでお金を稼いだこともないのに、『お金がすべてじゃない』といったことを語るのは、浅はかな行為です。

大体、月に200万円くらいの収入があれば、日常生活で値札を見ずに買い物ができるということがよく言われます。

その現実を実際に経験してみないことには、自分がいかに普段の日常の中で『値札』に支配されて生きているのかを知ることはできません。

自分が経験したことのないこと、見たこともない自分にとっての未知の世界を、今の自分の限られた想像力の中だけで判断し、何らかのラベルを貼ってしまうことは、他者の『世界観』を軽んじることになります。

自分の過去の経験、記憶の世界だけを絶対視し、他人の経験によって創られた世界観を、自分の狭い世界の中の尺度で判断するということです。

実存の世界、この現象世界では『経験』こそが、もっとも尊いプレゼントだということです。

個の生命体として、すべてを経験することなんて初めからムリなのは、わかっています。

でも『経験』を重ねることで、一つひとつの『経験』の中から本質が抽出され、この世界の本質がどんどんと浮き彫りになってくるのは確かです。

人のマインドは、自然作用として『経験』していないことまで『想像力』で補おうとします。

ですが、その『想像力』は、過去の経験で創られた世界観の中でしかできません。

自分の世界観を広げることなしに、ただ『想像力』だけを駆使していると進化はありません。

『悟り』はゴールではないのです。

ゴールだと思った途端に、その人の成長は止まります。

『悟った人』とは、これまで生きてきた中で、自分の本質だと思っていたものが壊れてしまうこと、それが無くなってしまうという『人がもっとも恐れること』を経験してしまった人です。

臨死体験などによって、それを実際に体感する人もいれば、人生の低迷期にマインドのループに
ハマってそれを経験する人もいます。

また、瞑想によって、思考の抽象度が上がりきり、自我を隔てている『分離意識の壁』を越えてしまうことでそれを経験する人もいます。

『恐れ』の究極を経験してしまうことで、自我(エゴ)と他者、自分以外の世界のすべてとを隔てている『分離意識の壁』が取り払われます。

分離意識とは、恐れのこと


『分離意識の壁』とはメンタルブロック、つまり『恐れ』そのものです。

自我意識の中には、幾層にもわたってこういう『壁』が存在しています。

一つの壁を乗り越えてそれが取り払われると、そこから世界が広がって同じレベルの壁、つまり、恐れや不安には悩まされなくなります。

これは『慣れ』『習慣化』コンプレックスの克服といった経験として、誰もが実感できることだと思います。

だから、人生においてできるだけ早いうちに、大きなレベルの経験をしてしまった方がいいんです。

たとえば、チマチマと借金するのではなく、若くして数億円の借金を経験すれば、その後の人生で『借金』というものを必要以上に恐れなくなります。

幼くして『世界レベル』を経験したスポーツ選手は、自然に『世界レベル』の選手に成長していきます。

すべての経験は一切ムダにはなりませんが、大きな経験を重ねていった方が、この人生の中で、より大きな世界を経験できることは確かです。

人生の時間に『限り』があることは否定できない事実でもあります。

だから、僕は常に失敗を避けるのではなく、進んで失敗を求めることを選択すると決めています。


恐れても、進んでいこう


僕も、失敗が怖くないワケじゃありません。

ただ、理性レベルで恐れを克服するすべを知っているだけです。

そして、失敗こそが『宝』だと知っているだけなんです。

この人生の中で、一体どれだけの『宝』を発見できるのか?

『悟りたい』と思って生きるよりも、ワクワク感を求めて生きることの方が、ステキだと思いません?

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