お金というものは、きれいなもの?きたないもの?

お金というものは、きれいなもの?きたないもの?生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

今回は、読者の方からの『問いかけ』にお答えすることにします。

同様の疑問というか『誤解』を持ってる方が多いので、先日更新したこちらの記事と一緒に合わせて読んでみてもらえたらと思います。


経済って、人間にとって自分の感情とか欲求、心が欲するものを満たすための現実的な営みですよね。

心と身体はつながっているし、情報と物質は重なってこの世界に存在しています。

心の充足と物質的な豊かさや、経済活動を切り離して考えるのは、二元論的な『誤解』です。

『お金』のことを必要以上に敵視してませんか?

人工物と自然物、人工物は汚くて自然物は崇高なんて思っちゃいますか?

人間も自然の創造物ですよね?

その人間が創るものも『自然』ですよね?

人間社会の営みに、宇宙の法則とか自然の摂理とか神の意志と表現できるものが、まったく反映されてないって考える方がおかしくないですか?

それこそ『人間だけが自然を超越した存在である』という『思い上がり』だと、僕は感じます。

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エゴは『インナーチャイルド』悪ではない


スピリチュアルとかの知識を中途半端につけて、それでグルグルして迷い、悩み、苦しむ人って、自分自身で『分離』を創り出してるんですよね。

迷い、悩み、苦しみは『分離』から生まれます。

この世界に存在するものはすべて、自然の営みから生まれたものなのに、勝手に『これは善、これは悪』というように、決めつけちゃってるんです。

僕は、質問者さんの文章を読んでいて『なんか悪者にされちゃって、お金とかエゴがかわいそう』だと感じました。

お金はまあいいとして、自分で自分のエゴを否定しちゃったら、かわいそうすぎませんか?

エゴって、幼い頃の記憶がコアになって生まれた心の中のもっともデリケートな部分『インナーチャイルド』です。

『子ども』だから、自分の欲求に正直なのは当たり前だし、変に理屈を身につけた大人が決めた『善悪』の区別がつかないのも当たり前の話です。

まず『エゴ』に対してもっと寛容になったらイイと思います。

お金に関しても、お金のことを考えたり、お金を使ったり、お金を得たり失ったり、お金に関係することを経験すると、自分の心がものすごく反応しますよね?

それは、お金と心がつながってるからです。

正確に言えば、すべてつながってるんですけどね。

それを『見ないふり』して、切り離して考えようとするから、心が辛くなるんです。

今ある現実は、すべて『自然の摂理』が生み出したもので、存在を許されたものなんです。

『在るものは在る』って、認めるしかないですよね?

現実として在るものを認めずに、抵抗するから心が苦しくなるし、そうした心の状態で行動するから変な現実を創造しちゃうんです。

自分にも世界にも優しく生きていこう


『お金=エネルギー』という言葉は、僕もよく使うけど、そもそも『エネルギー』って言葉を正確に理解できてる人が少ないと思います。

マンガとかゲームみたいなイメージを持っちゃダメです。

エネルギーというのは『潜在力(ポテンシャル)』『現実に何らかの変化を起こす潜在力を秘めたもの』です。

1万円札は、物質的にはただの紙切れですが、そこには『1万円分の価値のエネルギー』があります。

1万円札を使うことによって、自分が『1万円分の価値がある』と認識するものや『世間的に1万円分の価値がある』と共通認識されているものと交換することができます。

まさしくエネルギーですよね?

さらに『価値』というものは、人の心の中にしか存在しないものです。

『お金』は、物質的には紙切れとか鋳造された金属片でしかないんですが、人の心の中においては『価値』という情報エネルギーとして存在します。

スピリチュアル的に、ちっとも矛盾しないですよね?

こういった『アタマでの理解』も大切ですが、一番大事なのは『在るものに抵抗する』というワナに囚われないことだと思います。

この世界に存在するものは、すべて存在を許されてるものだという前提があります。

『在るものは在る』『起こっていることはすべて正しい』そういう前提に立って、そこから何を創造するか?

その意識のステージに立ったとき、初めて『自分』として人生を歩めるようになります。

簡単に言えば、自分にも世界にも優しく生きましょうということです。

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