人間らしさとしての自由と情報リテラシーで選択していこう

人間らしさとしての自由と情報リテラシーで選択していこう生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

若くしてビジネスなどで結果を出して『自由になった』と声高に語る人が増えてきてます。

好きなときに起きて、好きなときに好きなものを食べるという、自分の欲求に忠実に本能的に生きるという生活をしているようです。

でも、僕の中ではそういう『自由』というのは『人間らしい自由』ではないと思うんですね。

確かに、束縛から解放されて自由というものの一つのカタチを実現しているとは思います。

でも、その『自由』は、狭い視界の中で限られた選択肢の中からものを選んで、自分は自由に生きているとカン違いしたまま、未来の自分の『自由』を損なっていたりします。


スポンサーリンク

人間らしさとしての自由と、情報リテラシーで選択していこう


当たり前の話ですが、不規則な生活や暴飲暴食を繰り返せば、未来の自分の健康を損ないます。

健康を失うことによって、どれだけの『自由』を失うことになるのかが、観えていないんです。

僕は『人間らしい自由』を実現するためには『視界を広げること』『知識』を増やして自分の『未来』を見通すこと、ものごとの『理(ことわり)』を知るということが不可欠だと思ってます。

こういう能力のことを僕は『情報リテラシー』と呼んでいます。

『人間らしさとしての自由』とは、制限からの解放ではなく、自分の意志によって自らを束縛する制限を選ぶことだと思ってます。

自分の望む未来を実現するために、必要な『縛り』を自ら自分に課すということです。

先日、降りてきた言葉ですが『過去に縛られるのではなく、未来に縛られて生きる』と表現することもできます。

さらに言い換えると、100%コミットして『いまここ』に生きるという言い方もできます。

不規則な生活を送る人は、過去と今だけを観て自由に生きているようにカン違いしているだけです。

過去にいろいろと制限を受けてできなかったことを、今、自由にできているので、そこに喜びはありますが、肝心な『未来』の視点が抜け落ちているんです。

見せかけの『自由』の裏にある、不規則な生活を送ることによって、どういうリスクがあるのかが観えていないということです。

時間の使い方がヘタになったり、時間という大切なものへの配慮がなくなるという心理的なリスクもあります。

もちろん、健康面にも悪影響があるし健康を損なえば、精神面にも悪影響が出てきます。

こういうリスクが観えていないから、そのリスクが現実化する『未来』を受け取ることに対して『コミット』しているワケではないんです。

なので、将来そういうリスクが顕在化したとき『後悔』することになります。


生きるということは、学ぶということ


僕は、そもそもの前提として何かが起こったときに『後悔』するような生き方は『自由ではない』と考えています。

後悔のない生き方なんて不可能だと思う人もいるかもしれませんが、僕はそういう生き方を実現している人を何人も知っているし、今の僕自身も後悔という概念から解放されてるし、運命にも縛られない生き方をしてます。

運命に関しては、どうとでも言えることだし、他人から観たら僕も何かしらの運命に縛られ、それに流されるように生きてるように観えるかもしれません。

でも、大切なのは『自分がどう思えるか?』ということなので、それでいいんです。

『後悔のない生き方』ができる人は、運命というものから解放された人間だということが言えるんです。

なので『人間らしい自由』を実現したいなら『井の中の蛙』にならず、しっかりと『情報リテラシー』をつけていく必要があるということですね。

ガンジーも言ってますよね。

永遠に生きるかのように学べ。明日死ぬかのように生きろ。

生きることと学ぶことは、切っても切れないというか『人として生きること = 学ぶこと』と言ってもイイんじゃないかと思えますね。

コメント