リベラルとリバタリアニズムの違いを知って、リバタリアンになろう

自由至上主義生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

自由至上主義者という感じの意味合いの『リバタリアン』という言葉があります。

最近では、GAFAの躍進に一役買っている思想ということで注目を集めています。

GAFAとは、聖書の4騎士になぞらえられるほどの影響力を持ったIT企業群のことで、Google、Apple、Facebook、Amazonの4つです。

『自由主義』というと、リベラルとかリベラリズムという言葉の方が有名ですね。

リベラルというのは、保守派に対する自由主義、伝統や慣例に縛られず新しい考えや価値観を積極的に採り入れていこうという意味での『自由』を追求する考え方です。

日本の政党は、政治的信条があってないようなものなのでわかりにくいですが、アメリカだと保守系の共和党に対して、リベラルの民主党と比較的わかりやすい構図になってます。

日本で言えば『右翼・保守』に対して『左翼・リベラル』といった構図でしょうか。

『自由主義』といっても『自由』という言葉のとらえ方は様々です。


スポンサーリンク

リベラルとリバタリアニズムの違いを知って、リバタリアンになろう


リベラルは、人工妊娠中絶や同性愛といった『新しい価値観に寛容である』という意味で、『自由』という言葉通りの性質もある一方、経済的な格差を是正するためにお金持ちから多くの税金を徴収して再分配するというように『私有財産権の侵害』という意味で『自由でない』という性質もあります。

本来は『自由主義』という意味からスタートした『リベラリズム』が時代の変遷の中、単なる『保守』の対抗軸として、福祉国家のように国の規定する制度によって、個人の自由が保障されるといった意味合いの『国家による自由』というラベルが出来上がってしまったため、真の自由主義者は『リベラル』という言葉を自称できなくなり『リバタリアン』という造語を創りだしたんです。

リバタリアンが大事にするのは『個人の自由(リベラルに近く、保守に遠い)』『経済活動の自由(保守に近く、リベラルに遠い)』の両立です。

あらゆる面で『自由』を求めるため、日本語的に言えば『完全自由主義』とか『自由至上主義』という感じになります。

『市場原理至上主義』とも言えますね。

ただ、この『リバタリアニズム』誤解されやすい概念でもあります。

『自由』という言葉の意味を理解できてない人が多いからです。

あらゆる束縛から解放されるという意味での自由(Freedom)には、人間社会で生きる上では『互いに迷惑をかけない限り』という条件がつきます。

これはつまり『責任をともなった自由』という意味で、これが本当の『自由(Liberty)』です。

貧困や社会問題があったとき、リベラルな人たちは税金を徴収し、そのお金を使って問題を是正しようとしますが、リバタリアン的には寄付を行ったり、問題を解決したい人たちが、自らの意志でそれをビジネスとして行えばいいと考えます。

ここで、リベラルとリバタリアンの違いが浮き上がってきます。

リベラルは、人間の良心や可能性を完全に信じることができない『性悪説』的な観点で個人の自由を実現しようとする『国家による自由』主義です。

それに対し、『リバタリアン』は、人間の良心や可能性を完全に信じ『あるがまま』であることを重んじる『国家からの自由』主義だと言えます。

リバタリアンになるためには、民度の高さや精神的な成熟が必要です。

それは、僕が活動テーマとしても掲げている『心の自由』『情報リテラシー』に通じます。


まず、心の自由と情報リテラシーを実践していこう


『心の自由』とは、自分自身の感情との向き合い方を知り、自分の反応と行動(レスポンスと
アウトプット)をコントロールできるようになることです。

そして、『情報リテラシー』というのは、人生の中で出会う情報に対して、何が自分の人生にとって大事なのか?を正確に判断できるということです。

この2つを合わせて言葉を変えると『悟り』にもなるわけですね。

この2つは、初等教育の段階、小学校あたりで教えられるべきことだと思っています。

現状、この2つをしっかり身につけて、人に教えられるレベルの人間が、大人の中にもあまりいないので、もうしばらく時間はかかるとは思います。

コメント