こんにちは、さこっしーです。
先日の記事にも書いたとおり、最近、潜在意識の書き換えに夢中な今日この頃です。
この数日間は、自分の中の固定観念がどんどんはがれていってるのを実感してます。
歴史上の人物から身近な恋愛ストーリーに至るまで、人と人との出会いにはロマンがつきもののように見えます。
でも、『出会い』の本質ってそういうことじゃない気がします。
歴史を変えるような出会いは『特別な人が特別な人と特別なタイミングで出会った』かのように語られます。
恋愛の出会いも然りです。
『まるで運命に導かれるように』という表現を使うと余計にロマンティックに聞こえ、娯楽もののストーリーとしては都合がいいのかもしれません。
B’zのRUNという曲の歌詞に『人間なんて誰だってとても普通で出会いはどれだって特別だろう』というのがあります。
そう『人間なんて誰だってとても普通』なんです。
特別な人に出会うのが、特別な出会いではないのです。
出会いを特別にできるかどうかは、自分次第
以前記事で書いた、劉備と孔明や劉邦と張良の出会いも同じことなんです。
出会った時点での彼らなんて、劉備は漢帝国の再興とか、かっこいいことを言って兵を挙げつつも落ち目も落ち目の状況。
孔明も、実績なんてまったくない単なる引きこもりのインテリ青年でした。
張良も、ちょっと頭が良くて行動力のある落ちぶれた貴族に過ぎず、劉邦なんて、なんのスキルも持っていないのに担ぎ上げられた農民上がりの初老の男です。
歴史上の英雄たちとはいえ、運命を変える出会いをした時点では、彼らはまだ『何者でもなかった』のです。
出会った当時の彼らを特別な人間にしたのは、ロマンを求める後世の人々の勝手な妄想です。
普通の人たちが、普通に出会っただけのことなのです。
その出会いを『特別』なものにしたのは、その後の彼らの『生き方』です。
それに気づいたのは、自分自身のことを振り返ってみたのがきっかけでした。
ただ、自分の中で自分とコンビを組んでた人に対して自分を使いこなす器がなかったと思い上がったレッテルを貼ってたことに気づいたのです。
最近よく考える『現実世界は潜在意識の投影』という観点で見ると、過去に自分と出会い接してきた人たちは、その当時の自分にふさわしい釣り合った人間だったということになります。
うまく信頼関係を築けなかったのは『100%自分の責任』です。
『引き寄せの法則』から考えても、自分の周りに現われてくる人間は、自分と釣り合った人間だと言えます。
仮に、自分が憧れるような、もっと高みにいるような人間が現われたとしても、釣り合わない人間とはうまく接点をもつことができないのです。
『特別な人』に出会うことを求めていても、それは叶わない夢を追い続けることなのです。
まず自分が『特別な人』になろう
『特別な人』と出会って『特別な関係』になるためには、まず自分が『特別な人』になる必要があるということです。
自分の中身、潜在意識のチャンネルを、憧れるような『特別な人』に釣り合うように変えていけば、普段の生活の中の何気ない出会いがすべて『特別』な意味を持ちはじめるということです。
自分自身の内面に意識を向ければ、すべては自然の流れに沿っていくということです。
自分を高めることによって、釣り合わなくなった人たちは自然に縁が切れていき、それでもまだつながっている人たちは、自分とともに成長する人たちで、新しく出会う人たちは、高みに上った自分と釣り合うような人ばかりになるという感じです。
カラクリがわかればシンプルな法則で、自然法則というのは元来シンプルなものです。
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