意味のある偶然の一致は、そもそもそんざいするのか?

シンクロニシティの秘密生き方・考え方
さこっしー
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こんにちは、さこっしーです。

『シンクロニシティ』という言葉は、昔にくらべると一般的にも浸透してるように思います。

日常で使っても、そこそこ通じたりします。

『調和』『意味のある偶然の一致』といった意味合いで使われますね。

『引き寄せの法則』というものとも密接に関わる重要なキーワードです。

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意味のある偶然の一致は、そもそもそんざいする?


久しく連絡の途絶えていた友人のことを思い浮かべていたら、突然その友人から連絡があった。

新しいビジネスを始めようと準備してるときに、町を歩いているとヒントになるような情報ばかりが目に飛び込んできた。

日常の中であることに悩んでいるときにネットを巡回してると、同じようなことで悩んでいる人と立て続けに出会った。

数えればキリがありませんが、フォーカスを向けているとその対象が次々と目に飛び込んでくるように認識されるという現象を指して、言うことが多いかと思います。

これは、あなたが物心がついて以来、この現実世界で教わってきた『常識』という観念で考えると、実に不思議な現象です。

ですが本当は、世界の中で不思議なのは、唯一『自我』という存在の本質から矛盾をはらんだ奇妙な分離意識の方だったりするのです。

鳥の群れが大空を飛びながら、一斉に方向転換をしている光景を見たことはありませんか?

魚の群れでも同じことが起こりますね。

鮭やヨーロッパウナギがその生涯をかけて膨大な距離を回遊したり、渡り鳥の行動を見てみても、同じ一つのことに気づきます。

それらの動物を『個体』としてとらえているのは、『人間の自我意識だけ』だということです。

『個体』の行動として考えるから、理解するのに苦労するのです。

もともと意識の世界は一つでつながっているという前提に立てば、不思議なことは何一つないのです。

すべては『自我』というものが芽生えると同時に、自然から自らを切り離してしまうことからくる『錯覚』です。

『シンクロニシティ』とは当たり前の『奇跡』という言葉の定義、意味づけを変える必要があります。

奇跡は普段から起きているけど、気づいてないだけ


『シンクロニシティ』『奇跡』も自然の中で普通に起こっていることで、それを人間の自我意識が認識できたとき『奇跡』としてとらえられるということです。

人間という存在は、自我意識を持ってしまったばかりに『シンクロニシティ』から遠ざかってしまったのでしょうか?

そんなことはありません。

人間のすべての行動・活動は『自然との調和』から、一瞬も外れてしまうことはありません。

認識できていない気づいていないだけということです。

実感としてわかりやすいのは『生命活動』です。

人間の身体は受精卵から分裂を繰り返し、約60兆個の細胞で構成されています。

その60兆もの細胞がすべて同調して一個の生命体を構成し、その生命を維持させています。

細胞の新生・分裂、そして呼吸活動など身体中で起こっている驚異的で複雑に絡み合う化学反応。

自我がそのことに気づいていようといまいと、理解していようがいまいが『自我以外の何者か』の意志に従って、奇跡的なシンクロニシティを日常的に織り成しています。

たとえば今、つま先を動かしてみようと考えたとします。

脳からつま先まで、そんなに距離はないかもしれませんが、そこに到達するまでには数百億~数兆もの細胞がひしめいています。

それらが、あなたの『意志』に従って、一斉にシンクロニシティを起こしているのです。

そもそも『意志』が脳からやってくるというのも、仮説でしかないことです。

あなたの身体を動かしている『意志』の力、その『意識』というものは、鳥や魚の群れが一斉に方向転換するとき、群れ全体で共有されている『意識』と一体どういう違いがあると言えるでしょうか?

すべては自我意識の生み出した『錯覚』です。

文明というものも、自我という分離意識が生み出したものだととらえられます。

ですが、自我意識は『借り物』に過ぎず、全体の中の一部でしかないのです。

自我というものが、全体の意志を超えたものを創造できるはずもありません。

ただ単に『調和』というものに気づけていないだけのことです。

すべては『全体の意志』に調和して、起こるべきことが起こっているだけです。

『偶然』『確率』という概念もまた、自我意識が生み出した妄想だと言えます。

この世界、自然で起こっていることは『偶然』の絡み合った結果に過ぎない『偶然』というものは『確率論』に支配されている。

この妄想が自我意識の目を曇らせ、人を『幻想・錯覚の世界』に留まらせ続けます。

起きている事実だけを、認識しよう


『シンクロニシティ』とは、錯覚によって観えなくなっていたものが、何かのきっかけで観えるようになることです。

意識が『夢』から覚めるたびに、その『調和』は認識される頻度を高めていきます。

そして『幻想・錯覚の世界』を抜け出し、完全に『自覚』したとき、この世界には『調和』しか存在しないということを、人は知るのです。

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