こんにちは、さこっしーです。
一般的に『感性の右脳』『理性の左脳』と言われます。
僕自身は、右脳は受信機、左脳は翻訳機と解釈しています。
右脳は幼少期に育ち、自我が芽生える6歳くらい以降は、左脳の成長が主導になります。
左脳が育つと、翻訳機能は高まって社会生活を送る上での『表面的な』コミュニケーション能力が向上します。
ただ、左脳はただの翻訳機ではなく『自我(エゴ)のある翻訳機』というところがミソです。
創造のプロセスの根本となるのは、人のもつ『欲求』ですが、自我は『欲求』に彩りを加えるとともに『執着』というものも同時に生み出してしまいます。
自分が生み出したものに過剰に反応してしまったり、厄介な面もありますが『自我』があるからこそ、僕らは人間として人生の喜びを受け取れます。
『自我の習性』を知った上で、左脳の生み出す罠にはまらないように『自我と仲良く付き合っていく』というのが、人生を楽しむ秘訣なんじゃないかなと思います。
右脳と左脳どちらに従って生きるのが重要?
『左脳の罠』の中でもありがちなのが『勝手に地図を創る』ということです。
NLP(神経言語プログラミング)の前提の一つにも『地図は領土ではない』という考えがありますが『解釈は体験(現実)そのものではない』ということです。
この記事で説明した『創造のプロセス』の中で、左脳は勝手に設計図を創りだしてしまいます。
何か達成したいことがあって、それに向けて行動するとき『計画』を立ててしまうということです。
常識から言えば、ものごとを進めるとき『計画』を立ててから実行するのはいいことだと考えますね。
ですが、ここで思考の枠を外してみましょう。
『計画』を立てることは『結果』を出すために、絶対に必要なものなのか?
方法論が確立されたこと、他人が通った後の道を行くときは『計画』があった方が多少スムーズにはなりますね。
似たようなパターン・モデルに当てはめて参考にするということです。
ですが、この記事にも書きましたが『パターン認識』というのは、情報の処理量を減らしてくれるものの『あくまで近似に過ぎない』ということは覚えておく必要があります。
そして、あなたが取り組んでいることが『他人が通った後の道』にないとき、あなたが立てる『計画』というものは『思い込みの因果律』によるあなたの勝手な『解釈』が創りだした地図に過ぎないということを心に刻みつける必要があります。
誰も通ったことのない道、未知の領土の『地図』は間違っていることが前提なのです。
自我は安心するために『カタチ』を求めます。
『計画』を立てるのも安心が欲しいからです。
僕自身も、昔はものごとを計画的に進めることが多かったのですが、最近はかなり行き当たりばったりに生きている気がします。
昔よりも『右脳』の受信するものに、素直に従うことが多くなりましたね。
そして、少なくとも今の方が人生を楽しめていることは確かです。
人生は思い通りにはならないという前提で生きよう
計画を細かく考えたところで、思い通りに進むわけがないのです。
こういう風にものごとは進むだろうという都合のいい解釈は、すべて自分のエゴが勝手に創りだしているものです。
うまくいかないからといって、腹を立てたりストレスを感じる必要もないし、その瞬間ごとに起こることをただ受け容れて楽しめばいいだけです。
昔の僕と同じく、いろいろと細かく『考えすぎてしまう人や思い悩む人』そういう人たちに『左脳の罠、自我の呪縛』をすべて捨てて『そのままの自分として現実と向き合う』という爽快感をぜひとも知ってもらいたいですね。
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