【自覚しよう】一時の感情だけでは、本当の癒しは起こらない

【自覚しよう】一時の感情だけでは、本当の癒しは起こらない生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

人生で経験する『恐れや不安』『悩みや苦しみ』から逃れるために、いろんなセラピストやヒーラー、占い師や霊媒師のもとを転々とする人がいます。

これも『癒し』にフォーカスした、スピリチュアルブームの功罪ともいうべきもので、そういう『スピリチュアルジプシー』になってしまう人たちは、あるパターンにハマっています。

そういう人たちは、セミナーやセッション、ワークなどで体感や心理的な効果を感じて、思い切り泣いてしまうことも珍しくありません。

泣くと一時的にですが、感情がスッキリするのでその場では満足しますが、肝心の行動の修正があまりなかったりするので、また少し時が経てば同じレベルの問題に出会ってしまうのです。

対面のコミュニケーションであっても、人は相手の言葉を聞きながらも、相手の心を受け取る
ということがなかなかできなかったりします。

相手から発せられた言葉を自分が受け取った瞬間に、その言葉は自分の記憶の中のイメージと結びつけられて、そこからマインドが相手の意図に関係なく、自分の中で勝手に解釈のストーリーを創りはじめます。

占い師たちが使う『コールドリーディング』という、初対面で相手のことを言い当てたり、人の心をその場で読みとるテクニックは、このマインドの『暴走行為』を利用したものです。

カウンセリングなどでも何かをアドバイスをするのではなく、傾聴に徹してるだけで勝手に相手が自分の中から答えを見つけて解決に至ったりしますね。

ワークショップなどで泣いてしまうのは、自分の記憶の中の心が敏感に反応する部分に触れてしまって、抑えられていた感情が一気に表にあふれ出しているだけのことです。

それで、その感情の根本から解放されることもありますが、そこでヘンにスッキリしてしまうことで、その奥にある『本当の原因である潜在的な恐れや不安にまで届かずに終わってしまう』ことも多いのです。

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あなたの悩みや苦しみは、自作自演


自分が恐れ、悩み、苦しんでいることが、すべて自分自身が創造しているものだと気づいたとき、人は泣くよりもむしろ、笑ってしまうのです。

自分の思い、想念がすべての現実を創りだしていること、苦しめられてきた舞台裏が、実はすべて自分の自作自演だったと気づいたときにこみ上げるおかしさ、すべてがクリアに理解できたことによる爽快さ。

本当に大きな『気づき』が起こったとき、そこには一切の深刻さが消え失せてしまうのです。

それが根源的な癒しとも表現できる『悟り』です。

今まで気づいていなかったこと、観えていなかったものに気づくこと。

そしてそれを認めること。

それが『自覚』です。

悟りとは『自己の本質を自覚する』ということです。

『自覚』『気づきと受け容れ』という2つのプロセスによって成立します。

『受け容れ』とは、言葉を変えると『理解』ですが、問題はどういうレベルの理解が起こるのかということです。

本当に、潜在意識のレベルに届く『理解』なら、必ず行動と習慣が変わります。

だから、現実も変わるのです。

潜在意識に届くということは、セルフイメージが書き換わるということを意味します。

自分はそれを理解したとマインドが思って、行動が変わらないというのが一番危険です。

『行動をともなわないマインドだけの理解』は、自我が自我の都合のいいように解釈して、フィルターをかけてしまうので、本当の理解が遠くなります。

何かを経験したり、人の話を聞いても『これはすでに知っていることだ』とフィルターがかかって、大切なメッセージが心に届かなくなってしまうのです。

これが『表面的な理解』というものですが、そのとき、あなたの心の奥、潜在意識レベルのあなたの真の望みは『自分はそれを理解したくない』というメッセージになっているのです。

『望み』とは言葉ではなく、イメージで創られるものです。

何かを学ぶとき、人の話を聴くときに『これはすでに知ってることだ』という、あなたのマインドの声が聞こえるのなら、あなたの潜在意識は、そのことについて『本当に理解することを恐れ、真の理解を遠ざけている』ということなのです。

そういったことを繰り返したあげく、うまくいかない現実に出会ったとき、

  • 知ってはいるんだけど・・・
  • わかっちゃいるけど・・・
  • アタマではわかってるんだけど・・・



などの言葉を使ってませんか?

大切なのは『現実』を、ありのままに観ること


望む現実になっていないのなら『自分は何もわかっちゃいないんだ』と素直に認めてしまいましょう。

普段、無意識に繰り返している行動、習慣、そして現実が変わったときに初めて『それを知っている』という言葉を使えるのです。

本当にわかっているのかいないのかは『在り方』で示すものです。

自覚とは、気づきと受け容れで起こるもの。

気づきは、意図をともなった大量の『行動』で起こせます。

受け容れも『行動』をもって完了するものです。

自覚や悟りというものは、観念的(非現実)な概念ではなく『行動』という現実によって示される在り方なのです。

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