原因を未来に置けば、過去を変えなくても問題は解決できる

原因を未来に置けば、過去を変えなくても問題は解決できる生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

普段何気なく日常を送っていて何かしらの問題に出会ったとき、金銭的トラブル、人間関係など、種類はいろいろですが常識的でありがちな思考パターンは『今受けとっている現実に対して、過去に原因を求める』となります。

この思考パターンには二点の誤解があり、この考え方では根本的に問題を解決することはできません。

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過去を変えなくても問題は解決できる


まず、一つ。

問題が起こったとき、その『原因』を探ることはそんなに大事なことではないということです。

欲しいのは『解決』であって『原因を知ること』ではありません。

もちろん、『解決』のために『原因を認識すること』は大事ですが、それが絶対に必要なわけではありません。

原因を知らなくても問題の解決は可能です。

もう一つの誤解は、本当の『原因』は過去ではなく未来にあるということです。

過去と現在の因果関係なんて、自我が勝手に解釈しているだけのものに過ぎないのです。

なので、過去を振り返り、これからはこういう風に考えや行動を変えようという解決法は、基本的に的外れであることが多いと考えましょう。

『未来が原因』とはどういうことでしょう?

今の自分の性格・個性と、それを決定づけた過去の経験を振り返ってみましょう。

過去の経験が起こったから今の自分があるのではなく、今の自分が在るために過去の経験が起こったということです。

固定観念を外して、この考えを受け容れてみてください。

たとえば、経営の神様と呼ばれる松下幸之助の人生を考えてみましょう。

彼の生い立ちが、後に『経営の神様』と呼ばれるような偉大な人物を創ったのではなく、彼の『経営の神様』という役割があったから、そのために必要な数々の人生経験が彼に与えられたのです。

彼は人生の中で、その役割・使命、つまり松下幸之助としてのを見出し、それと調和することで、必要な人生経験を受けとりながら学び、成長し、自らの人生のビジョンを全うしたのです。

荒唐無稽に思われるかもしれませんが、この考えを完璧に理屈的に否定することはできるでしょうか?

肯定も否定も『解釈』が創りだすものに過ぎません。

『解釈』が信じたものが、その人にとっての真実となります。

自分が考えてみて『快』と感じるような真実を自由に選べばいいということです。

だから、いま何かに悩んでいたり、心を揺らされているとしたら『未来』に、そういうことで悩まされたり、心を揺るがされたりすることのない『カルマを克服した自分』がいるとイメージしてみてください。

そうすれば、その未来のあなたのビジョンが、いま、あなたの目の前に現れている現実の『原因』となります。

あなたは『結果』を創るのではなく『原因』を自由に創りだすことができるのです。

苦しみの『原因』をあなたの意識の中で未来に創造すれば、いま受けとっている苦しみの『意味』が変わります。

あなたが乗り越えられない試練は、やってこない


人生の中では、その人が乗り越えられないような試練・苦しみ・カルマがやってくることなどありえないのです。

カルマというものが、そもそも『自我』と区別できるものではないからです。

自ら創りだしたものを、自分が克服できないということはないのです。

あなたのもつ『創造力』とは『いま』を支点に、過去にも未来にも、そして現在にも時間を超えて、自由に発揮できるすばらしい力だということです。

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