自分にとっての利益を求めるのは、良いこと?悪いこと?

自分にとっての利益を求めるのは、良いこと?悪いこと?生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

お金とか、ビジネス的な人脈とか成功とか、そういったことを否定する人がいます。

『人生は幻想に過ぎない』『人生なんてゲームに過ぎない』という表面的なスピリチュアル知識に、少し詳しくなった人たちが、得意げに語ってしまいそうなフレーズです。

精神的に高尚なことを語れば、自分が偉くなったような錯覚が得られるのです。

おまけに、人生の中で苦しみや悩む人たちにとっては、自分が直面する『恐れ』から目を背けるための、格好の『言い訳』となってしまうのでタチが悪いです。

『逃避』からは、何も価値あるものは生み出せないし、何一つとして問題の解決にもつながらないのです。

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利益を求めるのは、良いこと?悪いこと?


人生は幻想のゲーム。

確かにそうとも言えます。

現世的な利益や価値というものは、人の本質的な『価値』というものとは無関係にも観えます。

ゲーム内でどんなにハイスコアを上げようと、逆に、どんなに下手なプレイをしようと、ゲームの世界の外にいるプレイヤーの本質的な在り方に影響はありません。

うまくプレイをしたからといって、人間関係が良くなったりしないし、どんなに下手くそなプレイでも、プレイヤーが財産や肩書きを失うこともありません。

でも、逆の視点で考えれば、大統領がプレイしようと、ホームレスがプレイしようと、偉大なスピリチュアルリーダーがプレイしようと、詐欺師や犯罪者がプレイしようと、そのゲーム内のルールは変わらないということです。

どんなに立派な人がプレイしても、ゲーム内のキャラクターの能力やステータスは変わりません。

そして『人生』とは、そのゲームのことを言うのです。

どんな人でも等しく、本質は素晴らしい。

でも、それをいくら知っていたとしても、人生というゲーム内で自らを磨き、その素晴らしさを生かせないのなら、何のための人生、何のための命なのか?

プレイヤーであるすべての人が等しく持っている、その素晴らしい本質にゲーム内のキャラクターが触れることができたとき、結果として『現世的な利益』が与えられるというだけのことなのです。

それがたとえ『幻想』に過ぎないとしても、その幻想によって人生というゲームは輝きを放つという側面もあるのです。

僕たちが『いまここ』で生きているのは、人生というゲームのルールの中です。

ゲームの中にいるのに、ゲームの外のことを考えてばかりいてもしょうがないのです。

ゲームの外の世界のことを、まったく気づかないかのように生きるのが『仮観』

ゲームの外の世界ばかりを考えるのは『空観』です。

『空観』は言ってみれば、単なる現実逃避です。

ゲームの外のことに気づき、自らの本質の素晴らしさを自覚した上でゲームのルールの中でキャラクターを成長させていくことが『中観』という生き方です。

自分にウソをつかず、正直に生きていこう


お金が欲しい、人間関係に恵まれたい、他人から認められたい、愛されたい、好きなことをやって生きたい、そう考えることの一体どこが悪いんでしょう?

恐れと向き合い、それを受け容れた上で、自らの好奇心と衝動に従って『現世的な利益』を獲得していくプロセスの中で、あなたの才能や可能性の種を育てていくことこそが、あなた自身の本質と調和した生き方なのです。

欲望、煩悩、そして執着を持った自分を否定しながら生きるのは、もうやめにしましょう。

あなたは、いまここで『自由』を選択できるのです。

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