他人の人生に深く介入しすぎず、温かく見守れる人になろう

他人の人生に深く介入しすぎず、温かく見守れる人になろう生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

僕が情報発信する基本的なスタンスとして『マイナスの状態にある人』とは、直接関わるようなことはせず『ゼロ以上から、プラスに向かおうとする人』のサポートをするような活動をメインにしています。

僕は、基本的に自分のことを『先生(Teacher)』でもなく『カウンセラー』でもなく『コーチ』もしくは『リーダー』だと認識して行動してます。

『先生』は、相手に何かを付け加えようとする人『カウンセラー』は、マイナスの人をゼロに持っていく人『コーチ』は、ゼロ以上の人をさらに引き伸ばす人『リーダー』は、他人に道を示す人という認識です。

僕の発信を受け取る人の中には、フワフワとした地に足のつかない考え方に囚われている人もいれば、自分を責めるクセのある人、マイナス思考やネガティブ思考に囚われて、なかなか前を向けない人もいますが、そういう人たちに対する僕のスタンスは『温かく見守る』です。

冷たく見捨てるのでもなく、暑苦しく関わるのでもなく『温かく見守る』です。

言葉のニュアンスを、しっかり吟味してみてください。

僕は、社会の公益なんて言う、自分からかけ離れた臨場感のないことは考えません。

ただ、自分と関わりのある人たちの利益を満たすと同時に、自分自身のエゴを満たすために情報発信活動をしています。

自分でハードルを乗り越えて動くこと『行動すること』にコミットできた人だけと、密に接するためにコミュニティを用意して、そこに加入してきた人たちと深く関わること。

それが、僕のエゴを満たすことと同時に、僕が生きる世界の中で僕の果たせる『機能』を最大化するような活動だと思ってます。

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他人の人生に介入しすぎず、温かく見守れる人になろう


僕が積極的に関わりたいと思わない人(マイナス状態にある人や、僕が投げるきっかけに反応しない人たち)と関わる時間を増やせば、それだけ僕が本当に関わりたいと思う人たちと、大切にすべき人たちと関わるための時間がなくなり、僕が社会の中で果たせる『機能』も小さくなります。

もちろん、僕の人生に対する『満足度』も下がります。

だから僕は、冷静に自分と世界の関係を俯瞰して『僕のやるべきこと』に集中するようにしてます。

僕がいくら打っても響かない人と、僕を信じて行動してくれている人、どちらを大事にすべきなのか?

僕はそういう、重要な『選択』を誤るようなことはしません。

こう書くと、冷たい意見のように聞こえるかもしれませんが、僕はそういった『ハードルの前で立ち止まる人たち』に対して、何もしていないワケではありません。

毎朝、何があってもブログ記事は更新するし、Twitterでも毎日の新たな発見や気づきなどをシェアしています。

『きっかけ』は数えきれないくらい投げています。

その『きっかけ』を受け取って、自分のハードルを乗り越えるのは『その人自身』なんです。

そのハードルは、自分にしか乗り越えられないものです。

行動したいと思いながら、行動できなくて悩んでいる人がいることも知っています。

でも、その人が行動できないのは『行動したくない』と思ってるんだからしょうがないんです。

その事実にヘコんでも意味はありません。

『そうなんだ』と受け容れるしかないですよね?

ヘコんでも現実は1mmも動きません。

誰でもそうですが、本人がやりたくないことをムリヤリ気分を持ち上げてやらせることなんて、不可能です。

スイッチを入れるのは『自分』なんです。

僕がその人の人生の中で果たせる役割は『きっかけを投げること』だけです。

その人が『本気』で変えたいと思ったなら、絶対に自分で行動をするはずなんです。

道を歩いていて、向こうの方から車が猛スピードで突っ込んできたら、考える前に身体が動いて避けるでしょ?

『このままじゃ危ないけど、どうしよう』

なんてことは、考えないですよね?

いろいろと考えてる時点で、動かなくていい言い訳を探してるということで、それはその人の本心では『変わりたくない、動きたくない』と思ってる証拠なんです。

と言っても、それが悪いことという意味ではありません。

その人は今、そういう段階にいるということ。

それ以上でもそれ以下でもないんです。

今はまだ、そのタイミングじゃないから動いてない。

本当のことは自分が知っているから、動くべきタイミングが来れば動きます。

動かなくてそのまま終わる人生もあるかもしれませんが、それはそれでその人が望んでいる人生ということです。

責めるのではなくて、いまの自分を認めて受け容れよう


まずは、現状動けていないのなら動きたくない自分を認めてそれを受け容れればイイということです。

『そうか、自分は今、動きたくないんだな』と。

動く時が来たら勝手に身体が動きます。動きたくなるんです。

人生における『成功』を僕は『自分の自由を貫くこと』と考えています。

動きたいときに動くのは『自由』であり『成功』だと言えますよね。

同様に、動きたくないときに動かないのは、あなたにとって『自由』の表現であり『成功』なんです。

自分の意志を体現できている自分に対して、卑下する必要なんてないということです。

動くか動かないか行動するか行動できないかというのは、理屈じゃないんです。

動けない人は、単に『渇き』が足りないだけです。

ハングリー精神と言ってもいいし自分の意志を発現して、望み通りの現実を創造することに対する『渇望』が足りてないだけということです。

そういう『渇望』とか『煩悩』こそ、人間が人間であることの証だし人生を彩るスパイスです。

『渇望』『煩悩』という言葉にネガティブなものを感じるのなら『希望』『期待』『願望』『夢』みたいな言葉に置き換えてもOKです。

自分が動けないことに対して自分を責めてしまう人が多いですが、責めるんじゃなくてそういう状態にある自分を『認めて受け容れる』ってことなんです。

自分を責めるのは、理想の自分と現実の自分が乖離していて、そのギャップから生まれた『ストレス』のエネルギーの矛先が自分に向いてるからです。

理想の自分を本当の自分だとカン違いしてるんです。

目を覚ましましょう。

動けない方の自分、情けなく思える自分こそが本当の自分なんです。

そこを認めなきゃ、なにも始まりません。

でも、ホントは情けなくなんてないんです。

人間だったら当たり前の心の作用で、そうなっているだけです。

パソコンで、アプリケーションのアイコンをダブルクリックすれば、アプリが立ち上がりますよね?

それと同じで、あなたの心というプログラムが入力された刺激に反応して『情けない気持ち』とか『自分を責めたくなる気持ち』とか『認めたくない気持ち』とか、そういう感情のプログラムを走らせてるだけのことです。

大事なのは、自分を客観的に観察すること


大事なのは、自分を客観的に俯瞰して観察し、どういうプログラムが立ち上がった状態なのかを冷静に理解することです。

そういう自己認識ができたときが、ホントの『スタート』になるんです。

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