こんにちは、さこっしーです。
引き寄せの法則や成功法則の功罪は、直線的な短絡思考を生んでしまうことです。
『思考が現実になる』『願望が引き寄せられる』『ビジョンを思い描けばそれが現実になる』
これらの言葉から受け取る人によっては、とても簡単そうな魔法じみた印象を受けます。
『言葉』はツールに過ぎず、ものごとのすべてを表現するわけではありません。
引き寄せにしても自己啓発にしても、スピリチュアルにしても成功法則にしても、受け取る人が、それを『苦痛からの逃避』の手段だととらえればワナにはまります。
現実は結果の積み重ねで、思っただけでは引き寄せられない
『苦(不快)を避ける』『快の追求』という言葉にも誤解を生む響きがあるので補足すると、自然の摂理である『自他の調和』という意識レベルを実現できる人にとっては『法則』は味方となり、自我の習性である『自他の分離』という意識レベルに留まる人にとっては『法則』は自分を振り回す材料の一つにしかならないということです。
自然の摂理というものが観えないと、人は自我の習性に振り回され、短絡的で自分に都合のいい『解釈』を生み出します。
『思っただけで、簡単に現実が引き寄せられる』という『解釈』です。
現実とは、そんなに単純に生まれるものでしょうか?
自我の習性に振り回されると当たり前のことさえ、認識の盲点(スコトーマ)に隠されて、観えなくなってしまいます。
いままでの歴史の中で『早く大人になりたい』と考えて、それを現実化して数日で大人に急成長した子どもはいましたか?
大企業や大帝国は、一夜にして築かれたものでしょうか?
自然や人間の営みを観察すれば、現実というものが縁起による無数の存在や現象の積み重ねで
できていることがわかります。
大きな変化は、無数の小さな変化の積み重ねでできているのです。
『思考』とは、その現実を創りだす『ガイド』となるのに過ぎないのです。
『思考』というスイッチを押せば、簡単に『現実』が生まれるわけではないのです。
なのに、引き寄せや自己啓発、スピリチュアルや宗教といったものを『盲信』する人は、短絡的に『魔法』を求めてしまうのです。
現実を変えたいなら、まず知識を入れよう
『苦痛を避ける人』は、一瞬でも早く、いまある苦しみを取り除いて現実を変えたいと考え、『快とともに在る人』は、現実を創り出していく一つひとつのプロセスとしての無数の結果を、常に楽しみながら経験していくのです。
『魔法』も『奇跡』も、ものごとの背景にある一つひとつの理(ことわり)の積み重ねの結果です。
自然の摂理、きわめて理性的なプロセスが積み重なってできる『必然』の結果なのです。
その背景が観えていない人が、魔法や奇跡という言葉を安易に使って、ある意味その隠れたプロセスを自分自身で否定してしまうのです。
ものごとには順番というものがあります。
引き寄せや成功法則、スピリチュアルを『実用的』に自分の人生のために役立てたいなら、その根幹となる『知識』を最初に入れる方が、効率よく学びを深めることができます。
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