【縁起】人は自然の一部であると同時に、自然を超越した存在

【縁起】人は自然の一部であると同時に、自然を超越した存在生き方・考え方
さこっしー
さこっしー

こんにちは、さこっしーです。

この世界は『縁起』によって成り立っています。

すべての存在・現象は複雑に関わりをもっていて、その因果関係は単純に点と点を線で結ぶようには観ることはできません。

因果関係を直線的に結ぶのは、人間の顕在意識がつくる『錯覚』に過ぎないということです。

そうやって複雑につながり、関係性に結ばれお互いがお互いの存在を支えあうこの世界の中で、それぞれの存在・現象は『機能』『役割』というものを果たしています。

この『機能』『役割』は、言葉を変えて表現すると、『使命』『志』『在り方』と呼ぶことができます。

そして、この世界の中で、人間だけが、自らその『在り方』を変化させる力を与えられました。

この力のことを『理性』と呼ぶことができます。

その他のすべての物質、生物、動物たちは、与えられた『生命』とその『役割』に抗うことなく、ただ全うします。

人間も『機能』『役割』を全うすることに違いはありませんが、自然から離れた自意識『自我』という分離意識をもち、その高度な意識をもって『生命』というものを、そして与えられた『機能』『役割』というものを、客観的にとらえながら『経験』する存在なのです。

そして、その『自我』とともに与えられた『理性』という力によって、自らの『機能』を進化させることができるのです。

だからこそ、人類が生まれる以前と生まれた以後とでは、ものごとの変化のスピードが大きく変わったと言えます。

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人間も自然の一部


人間は『自我』『理性』によって、いろいろなものを生み出し、他のどんな生命体にも経験することのできなかった世界をどんどん創造してきました。

だからといって、人間が『自然の摂理』を超えた存在であるという意味にはなりません。

人間の『自我』『理性』の進化によるこの世界の変化も、あくまで『自然の摂理』にそったものであるということです。

人間の『自我』『理性』が受けとる、自分の『個性』を変えよう『在り方』を変えようというエネルギーは『自然』からやってくるものです。

『自然の摂理』のエネルギーは『快』『不快』というカタチで、人間の意識を通して流れ込んできます。

それが『快』を追求する『モチベーション』というエネルギーになったり、時には『不快』から逃れようとする『破壊的』なエネルギーにつながったりします。

このように『自然の摂理』から流れ込むエネルギーは、人間という存在『器』を通して、大きく増幅されて、再び世界へと還っていきます。

このようなエネルギーの循環が世界を絶えず、流転・変化させ続けているのです。

人間の自我意識は、その摂理の中で『個の主観』によってものごとを『観察・評価・解釈』しています。

そして、その『主観』が人間の行動を変え、エネルギーのはたらきを変え、世界に届けるのです。

人間には、選択の自由が与えられている


物質を構成する『元素』はその性質を変えることなく、常に別の『元素』と反応して、なんらかの変化を起こします。

人間以外の他の生物は、自らに与えられた『生命』やその自然の中での『役割』に疑問を抱くこともなく、自らの『生命』を自覚すること自体もなく、その『機能』『役割』を全うします。

人間だけが『自我というプログラム』によって、自分の『生命』『役割』『意味』というものを与え、また、それを自ら『変化』させるという権利を与えられているのです。

人間に与えられた『自我』『理性』というギフトは『生命』というものに『解釈』『評価』を与えること、自らの『生命』をどう使うのかを選択すること、この二点に関する、二つの『自由』を与えられているということができます。

つまり、あなたには、自分がどういう人生を創造するのか、その人生に対してどのように感じるのかを『自由』に選択できる権利があるということなのです。

人間は『自然の一部』でありながら『自我というプログラム』を操縦して『客観的』に人生を自由に創造し、それを楽しむことのできる存在だということです。

そういう唯一無二の存在としての人間、その『生命』を与えられたことの意味をしっかりかみしめ、味わって生きていきたいものですね。

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